お久しぶりです。にこです。
タイトルは結構重たいタイトルですが、僕は元気です。ライフハック的な記事を書いていきたいんですが、中々ネタが思いつかないので今日は小学生の頃に自殺未遂をした話しを書いていきます。
ドラッグ体験談だったり、ブラック企業だったり、暗い話しが多い気がしますが、根暗なので勘弁してください。
自殺=悪だとは決めつけないでください
僕の言葉が大袈裟に聞こえるかもしれませんが、自殺を考える人の心情には、ある程度共感できます。僕自身が、過去に何度も絶望的な気持ちになり、小学生の頃、そして20代にも自殺未遂を経験をしています。
人は、極限の状況に置かれると、生きることの辛さを感じることがあります。
「死ぬくらいなら現状をどうにかしろよ!」とおっしゃるかもしれませんが、追い詰められている人間は正常な判断ができません。そして、「死ぬ気になれば何でもできる」という言葉も、その状況では意味を成さないことが多いです。
もし、自分を追い詰められた状態に感じるなら、まずは一息ついて休んでください。
喘息を患い、人生が大きく変わった。
小学5年生の頃、喘息を患いました。それまで健康体だった僕の身体は急激に弱り始め運動がほぼできない身体になってしまい、喘息を患ってからグランド1,2週も走れなくなっていたんです。
当然体育の授業はほぼ欠席、欠席すると「あいつだけいつも休んでてずるい」みたいな目を向けられるわけです。クラスメイトからに実際に言われたこともありました。
でも、走れないんですよ。
そういう言葉を投げかけられる度に罪悪感や劣等感に襲われていました。
喘息で体力がなくなり、痩せていった。
体育は病院と担任と相談して、全部休むことになった。
理由は走れないから、球技なんかも走ったりしてるうちに喘息が起こって早退してで、体育の授業は受けることはできないとの判断。
喘息を患ってから体調はずっと悪く、食事量も減少して痩せていきました。
当たり前に出来ていたことが出来なくなる劣等感はすさまじい
それまで僕はマラソン大会なんかで上から14番だったり、走るのは嫌いだけどそこそこのポテンシャルを持っていたから、その状態から何も出来なくなり、日々劣等感に覆われていた。
少し前ならできたことが、できなくなる。子供心に自分は他人よりも劣った人種なんだな。と思い込むようになっていきました。
喘息が酷くなり、学校にも行けなくなる
段々と発作が酷くなり、1週間のうちに週2回ほどしか学校にも行けなくなり、その2回の登校でも喘息発作が起こしてそのまま早退したり、健康であることがどれだけ素晴らしいことなのかを思い知りました。
どうして、当たり前に出来たことが出来なくなったのだろう。
どうして、毎日こんなに苦しい思いをしているんだろう。
どうして、毎日介護のような生活を受けているんだろうか。
走ることもできなくて、殆ど家や病院にいる現状に絶望するしかできなかった。
家にいたらゲームできるじゃん!と思われるかもしれませんが、呼吸するのに必死でゲームどころじゃありませんでした。
喘息に効果があるものを試したが症状は改善されなかった
本当に酷かったので、喘息に効果のあるお茶や漢方。ウォーキング。そして体質改善の注射
この中で体質改善の注射を1年続けて、僕はようやく日常生活をおくれるようになったんですが、3ヶ月や半年では効果は実感できません。週1回めちゃくちゃ痛い注射を打たれに行くのも嫌だったし、効果を感じないものに多額の医療費を払っている母親を見るのがツラくて仕方なかった。
母親の優しさが余計に自分自身が余計惨めに感じていた
母親は本当に優しい女性で、僕が喘息発作で学校を休むと看病するために、仕事を休んでくれていた。毎朝仕事を休む電話をしている母親を見ていると、段々申し訳なくなってきていき、この頃から自責の念が少しづつ大きくなっていった。
毎日満足に息も吸えない発作が辛過ぎて、ネガティブなことばかり考えるようになっていった。
被害妄想は身を滅ぼし、自殺の背中を押す
被害妄想というのは一度考えてしまうと、どんどん悪い方へ悪い方へ進んでいってしまう。今でこそ制御の仕方もわかってくるが、当時は全くわからなかった。
だんだん、自分は幸せになっちゃいけないんじゃないだろうか?なんて決めつけたりしてるぐらい自分を追い詰めていた。そんなわけないのに、自己暗示を勝手にかけていたんだと思う。
自分がいない方が家族は幸せになると思い自殺を試みた
喘息を患って半年くらい経った頃に突然思い浮かんだ。
「自分がいなくなれば、母は仕事にもいけるし、僕の食費も医療費もかからなくなる。なによりこれ以上、両親に迷惑をかけたくない。早く死ななきゃ。」
決行は深夜帯にバレないように行った。
自殺するために大量に薬を飲んだ
僕は喘息発作で息苦しくて、夜は眠れずにいた。だから家族が寝静まった後に、リビングに行き、病院でもらった大量に飲んで自殺を試みた。
大量といっても2週間分の薬だったので、死ねるわけはない。
だけど、その時は死ねると思っていた。このまま目を覚ますことなく、死ねる。大量に薬を飲んだから気道も開いてきて、眠れそう。
このまま眠って死ねる。さよならお父さん。お母さん。妹。そしてペットの猫たち。
自殺はできず大惨事
僕が飲んだ薬の量なんかで死ねるわけはなく、抑えきれない吐き気で目がさめて、吐きまくった。トイレまで持つようなレベルではなく、きっと身体が薬を体内に出したかったんだと思う。布団は吐瀉物まみれ。
吐き気は止まることなく、家族は大慌てで僕の前にバケツを用意してくれた。
用意してくれたバケツに吐いても、吐く度に薬のニガさで気持ち悪くなり、また嘔吐。
吐くものがなくなっても身体は吐く行為をやめてくれませんでした。
背中をさすられながら「死ねなくてごめんなさい」と何度も繰り返し頭の中で謝り、そのまま意識を失った。
母に自殺しようとしたことを話した
次の日、吐き気とフラフラが戻らないものの、大量に喘息の薬を飲んだからか、器官も広がり呼吸ができて、会話もできる状態だった。
昨日死にそこねて吐き散らかして布団を汚してしまった。僕はどうしようもない人間だ。
母は新聞を読んでいた。母の近くへ行って
「死のうとして失敗した。お母さん、僕は死んだ方がいいんかな?」
母は聞いたこともないような声で怒った
母は聞いたことのないような悲鳴をあげて
「なんてことを言うのよ!!!!!!」
と大声で僕を怒鳴った。今まで怒られることもあったけど、ここまで本気で怒られた経験もなく、号泣して新聞紙をぐしゃぐしゃにしている母を見て僕も泣いて謝った。
この時、母を悲しませたことは忘れられない。
20年以上経ってもあの時の母が泣き叫んでいる姿は鮮明に脳裏に残っている。
自殺していなくなることが一番の迷惑だった
2人で泣き散らかした後に、お互いの心情を話した。
僕はこれ以上迷惑をかけたくなかった。と話した時に「いなくなられるのが一番迷惑よ」と返された。「でも仕事休んでお金もなくなる…」と言ったら「そんなこと気にしなくていい」と励ましてくれた。
その言葉に小さかった僕はとてつもなく救われた気がした。
その後、母はこの曲を聞いて欲しい。とCDコンポを電源をつけた。
流れたのはイエローモンキーの「JAM」
正直、当時は母がなぜこの曲をかけたのかもわからなかったけど、大人になるとわかったような気がする。
自殺する人を止める権利はありません。でも、黙って会えなくなるのはツラいから、このブログを見てくれた人は少しだけ思いとどまってください。
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